綴りかた日記

はてなダイアリ―から移行しました(2019.02)

窓辺に活けた淡いピンクのチューリップの花弁が、冬の朝の透過光を差し出してくれる

起床後すぐ、背山登山はせずに翻訳に取り掛かる。

アメリカ翻訳者協会発行の小冊子「翻訳―よい結果を得るために」(英日)を約3パラグラフ。
続いて、今年勉強する「決意(つもり)」が「多忙」という言い訳に流されて今に至った法律学習教材へ。まず、ガイダンス篇DVD1枚を視聴。

ヴィーガン仕様のお弁当作り(やや手抜き)、事務所での仕事(やや長い)、家族への差し入れ、簡単な夕食を経て深夜。
詩の10分読書。ここへの切り替えが、一番難しい。ざわざわした言葉や思いの余波を遮断し、別の回路を開いて言葉の核をすっと迎え入れる感覚を、短時間で取り戻しにくいから。
とにかく、常の選択であろう現代詩や海外詩ならぬ、大岡信若書きの「わたしのアンソロジー…日本の古典詩」から、「物に寄せることなく、ひたすら心のあこがれだけを歌いつづけた和泉式部」の部分に目を通す。「物に寄せることなく、ひたすら心のあこがれだけを歌いつづけ」ることで、「時によってついに摩滅しない」声。

★ここで書くのにふさわしくない話題とも思いつつ、もう一つ印象に残ったのは、帰路に見た光景―ライトアップされた馬小屋飾り。その、藁を敷き、当然嬰児の人形が置かれるべき中心部分の、意外な「空虚」の軽やかさ。22日だから、考えてみれば慣習どおりなのだけれど。