綴りかた日記

はてなダイアリ―から移行しました(2019.02)

山上の小屋のストーブ―灯油と、焼餅と、熱のにおい

近隣にいて接点があるようでなかった、世代も境遇も異なる人たちと思いがけない形で交流してみると、さまざまな「顔」の来歴があり、なにごとかに習熟・集中する道筋が万別であるという当たり前かもしれないことが、気持ちよく明快な事実として実感される。
そうして午前中は霜の降りた近場を歩いて初挑戦のあそびで体を動かし、午後遅くから(私は行かなかった参詣帰りの)家族の付き添いで遠出したりもして疲れていたのか、夜になると、課題をこなすのに先ず寒さや眠気と対決しているうち、長い間、机に突っ伏していた。
そういえば昨晩も、珍しく体調に思わしくないところがあったので、潔く無理せずに明日に回すしかないのかとも思いながら顔を洗って部屋に戻り、せめて何かここに書き込もうとすると、先程までと違う、かなりさっぱりした感覚になっていた。結局、翻訳は20分、これまで紙の上で仮訳していたところを少し整理しながらPC入力だけでもできた。
そのまま詩集も開いてみた。「昔 わたしを導いた神も/多くはすでに古びてしまった/死のことや 愛のことを/藪の赤い実のように唄うには時がたちすぎている」(入沢康夫「犬の顔をした小娘への恋唄」)。抽象的観念や感傷を、そこに当たり前にぶらさがっている(かのような)ウツクシイモノのごとく表現してウツクシイウタを作っても、何ら新しい貢献は生まれず、真実からも遠ざかっていくのは、昨日もあれこれ通じて感じたこと。
あとは問題の法律。これは今からテキストに目を通すだけになる。勉強方法を検討する必要。
油断して朝寝せずに、明日は早めに課題をこなせるようにする。