綴りかた日記

はてなダイアリ―から移行しました(2019.02)

沸かしたてのお湯で淹れるマテ茶が、マグカップの厚みを両掌の間に存在させる

昼食に持っていくお弁当にしても、ありあわせのシチューをアレンジしたところに保存食のライ麦パンを添える、かなり非常時の対応。息切れと多忙な仕事。おなかをすかせて哀しいやら情けないやらと(時間はある筈だが)言う友人、一方で、緊張が残るのかおなかが痛いのが治らないと(過密な仕事の一山を越えて)言う友人、どちらにも自分の状態の一部を見る半端な状態。そうしてみると、夜になって、どうにか自分で単純な一汁一菜ぐらい料理できるのが有難く思える。
Flannery O'Connorの小説を想い起こす。見る者と、見守る者。或いはChristopher IsherwoodとDon Bachardyのことも。地道なもどかしい枷でもあり、とんでもなく自由で常識に囚われないブースターでもある、継続的に成長していく関係性。
それはそれとして、法律のテキストに集中しかねるのが常態化しないよう、足元の細かいところを少しずつ整えなおしたい。