綴りかた日記

はてなダイアリ―から移行しました(2019.02)

新月の夜の暗い窓と、丸々と白く開く芍薬二輪のコントラスト

指先の小さな虫のような動きや、床に倒れては起き上がる反復の滑らかな流れが、「意味」を超えて目を惹きつけ、「雄弁」といえば実態から離れたクリシェになってしまう、静謐な吸引力、現出力を持っている状態。招待された小さな劇場でコンテンポラリーダンスを見ていると、10代初めに見た幾つかのダンスに、始めて魔法や哲学を感じた時の驚きや喜びも思い出すようだった。日常と異なる方法、仕組みで存在が成立する空間を作り出したり、その過程に接するのがいかに刺激的か、体感から忘れそうになっていたのかもしれない。疲れ気味で億劫になりかけていたが、思い切って出かけて良かった。
家族の夕食に(自分は食べるのを止めているが)鰯やアサリなど料理していると、近所の友人がまた、身の分厚い魚の一夜干しを家族分だけお福分けに持ってきてくれたのは不思議。長期的に是かどうか、まだ自分の判断が下せない曖昧な部分ではある。私の「メインディッシュ」は、豆腐店でおまけしてもらった、豆腐一丁ほどありそうな「ジャンボ厚揚」を焼いたもの。
月が双子座で新月になってから、幾つかの決意や願いを纏めてノートに書き終えると、友人の一人からの電話で、ストレスを「無くす」より「うまく付き合う」方法、自信の有無が選択・判断の可否を左右すること、歴史上の指導者に晩年判断ミスが増加したことと他者分まで増大する責任に耐える力の因果関係、ニューソートの流れ等での健全な財物観等が話題になった。一般的な権力志向に興味なくむしろ反対であったり、一つの「理想の自分像」に拘る態度には懐疑的な私の傾向を見抜きながら、友人がそれを「無欲」と評することに驚いて、好意的な幻想であって事実ではないだろうと答えつつ、何がどこまで本当なのか考えさせられもした。
朝の体操から夜、法律テキストを読むことまで、本格的にはできていないが一通り日課に取り組んで、長い一日終了。