綴りかた日記

はてなダイアリ―から移行しました(2019.02)

日蔭のスクーターの上に所在無さげに干された、銀色の中国獅子の「皮」

かつて、詩人であるが為に弾圧された人たちがいた。彼らの行動や思想、作品が結局どのような政治的立場に与していたか、それが優れた正しい芸術や賢い人生の選択であったのかどうか、あるいは彼ら自身がどの程度自分の表現内容を信じていたかさえも関係ない。ただ、言葉を発したこと、表現したことを理由に、理不尽な苦難を強いられたという事実が重要で、時間を隔てても連続する地域社会に生きている者にとって、無関係である筈がない。すべてのことは政治的だとまで言うつもりはないが、意識的にものを書く人間にとっては尚更の筈。それは以前から気になっていることなので、今日は友人と或る史実の勉強会に参加したのだが、自称詩人の方が退席しながら「文学の話をするつもりで来たのに(歴史や政治の話ばかりで的外れだった)」と上品そうな口調で勿体をつけたのには心底仰天した。一方で、忘れられようとする史実を掘り起こし、語り継ごうと、地道な努力を続ける方たちの存在が(たとえ全面的には同調できないとしても)尊く思えた。
前後に友人と、一見無愛想なインド人シェフの店で美味しい野菜カレーとナンで昼食を摂ったり、バルで甘いキールを飲みながらお互いにハンドマッサージなどしつつ、最近の仕事の難しさや、来し方行く末だのをお喋りしていて、結局は、今こうしている瞬間は素敵なことだと、ちょっと幸せになるのだった。
常備の油など食糧品を買い込んで帰宅し、夕食を料理したし、軽く体操したり足のオイルマッサージもしっかりして身体をほぐしたし、法律テキストも開いたし、石や水を使う日課も続いているし、少しずつでもすべきことに取り組めた気分。