綴りかた日記

はてなダイアリ―から移行しました(2019.02)

並んだ鉢植えがリーンリーンと鳴く。アオマツムシがいるのは、茂みのどの鉢か

体操、マッサージ、ローズクォーツとルチルクォーツ入りのお白湯と、きなこではない大豆の粉。体を伸ばしたりしながら、また胸骨のあたりが圧迫されないよう、解きほぐすよう、意識してみる。法律講義DVD音声を電話内に、Marc Kelly Smithとエドガー・ケイシー本の2冊をバッグに入れて出かける。
お弁当は急いで作り、白米ご飯に焼海苔でチェッカー模様をつけ、真ん中に梅干。定番の青梗菜と、薄揚げ(豆腐店の、肉厚で香ばしい手揚げ)の煮浸しに、ぶなしめじを足し、新生姜とたっぷりのクコの実でアクセントをつけ、本葛で照りをつけてみた。一品だけのおかずだけれど、単純すぎず、ボリュームもあるご馳走になった。
仕事は着々と。
途中、久しぶりに遠方から帰ってきた友人が電話を掛けてきて夕食に誘われるが、食べるもののベクトルが違うから難しいと言われ、挙句に某クレジットカード会社顧客サービスにも問い合わせたがヴィーガン対応のレストランを見つけられなかったとかいう理由で、お流れになる(何となく、外食産業と結びついた高級志向「ライフスタイルサービス」の限界を見た思いで、笑ってしまう)。
夜、仕事場の近くでの会合にやって来た別の友人が、共通の知人の思いがけない病状のことや仕事のこと等々で相当哀しくなっている様子だったので、少しだけ話を聞いてあげようと行ってみた。短い待ち時間、コーヒーを飲みながら読書(ベジタリアンも肉に代わる栄養やビタミン等をしっかり補足すべしとか、しかし人間を汚すのは口から入ってくるものより口から出る言葉のほうが大きい原因だ等々、ピンとくるフレーズが目に入ってくる)。会った時の友人はしっかりしている印象だったのに、実は既にかなり酔っ払っていたらしく、食ってかかって論争をしかけてきたり、幼児性を発揮して靴のまま韓国料理店の座敷に上がろうとしたり鞄を放り投げるように置いたり。確かに、私の真剣さ、人に対する感情の深さがまだまだ足りないというのは正しい言い分ではあろうと思うが、こちらはお腹も空かせたまま、いい加減なことで時間をとられる。
深夜に家業の手伝い。帰宅すると、作り置きの食品を、すべて父が食べてしまっていた。面倒になって、夕食は摂らず、本を開きながら眠ろうとしたところで、友人から謝罪の電話。眠さもあるし、どこかうっすらと胸苦しい気もする。聞くべきことは聞き、気持ちよくおやすみの挨拶をしているつもりだが、向き合うことと切り捨てることを、うまく選択できているだろうか。