綴りかた日記

はてなダイアリ―から移行しました(2019.02)

吹き抜けとバルコニーのあわい、ほの明るい廊下の天井隅に白を彩る木のかげ、土のかげ、空のかげ色

早朝に目が覚めた時点で、お白湯を飲み、亜麻仁油の瓶を開封してスプーンに1杯。前夜、おなかにひまし油でパックをして温めたわりには、目立った体調の変化は感じられず、またしばらく横になっていたが、芯のほうから少しずつ、不要なものと必要なものが入れ替わり、力が蓄えられつつある気もする。髪を梳かし、顔を洗う単純な日課も、ゆったりした舞踏か儀式のように丁寧に手を動かし、肌の感触を味わってみることにすると、とても贅沢な行為だ―細心の注意と無心の同居する時間。簡単な体操と、マッサージ。どこにも出かけはしないのに、お気に入りのムーンストーンとイエローサファイアのブレスレットを、秋晴れの空が目の前に開ける窓辺から取り上げ、左手首に着けてみる。
多忙や気力・体力の低下にふりまわされて、しばらく仕事以外でコンピュータにアクセスしたり、私事のペーパーワークをするのが難しかったので、久しぶりに書き物やメールのチェック。(ただし、アクセスできない状態が続いたからこその成果もあった。例えば、どんな場所であれ、細切れの時間に少しずつでも、仕事の書き物やプライベートの記録をするしかない、と強く感じていたら、一体何をしようとしているのか、その為に有ると便利な道具や、既に持っていて新たに求める必要が無いものなどを着々と整理できてきたし、実際、ちょっとしたアイデアを書きとめる行為をする機会が幾つかあった時には―特に今朝だが―、「時間を自分で切り出して使った」奇妙なほどありありとした感覚を意識できたのはよかった。)
FMラジオからの、聴き慣れた声をBGMにしているけれど、もうすぐ言葉のない音楽に切り替えよう。仕事関連の書き物も4週分ほど滞ってしまったので、今日こそ早めに仕上げて、明日の「仕込み」に入りたい。

後ほど

朝、陽はとうに昇っているのに力が出ずに横になったままでいると、弟が点けたテレビからふと聞こえてきた斎藤史の自作解説「暴力のかくうつくしき世に住みてひねもすうたふわが子守うた」―A terrible beauty is born、と、どこか常に頭にあるイェーツの言葉までもが開錠された感覚で、一挙に全身が目覚める。

話す仕事の「仕込み」で、食料自給率の状況など調べながら原稿を書く。そういえば行政機関による鹿の「駆除」目標値(数万頭)が、自然環境・農業経営・食材流通・銃火器許可・生命倫理など、どこからみても数値や理念が先走っていて、地に足がつかない、実態と折り合わない感があると、改めて思う。結局、音楽を選んでデータ変換までできる頃には朝になり、一睡もせず。
簡単に体操とマッサージ。お白湯にはルチルクォーツ、カーネリアン、ブルーアゲート。先週末届いた「原型的な水」と米も引き続き試す。体調の自然なリズムで元々ペースダウンする時期だとか、徹夜したというのを差し引いても、珍しく吹き出物が出たり、頭も体もぼんやりして無理がきかない感じが続いている。

「一食につき、ご飯を一口増やせば食料自給率1%アップ」という試算は広めたいと思えるし、普段は米飯のほうが粉ものよりも好きかもしれないが、仕事場や自宅の近くのパン屋さんで遅めの昼食とおやつに買ったバゲットが、妙に美味しく感じられた。他に「もっと美味しい」バゲットの店は幾つかあるけれど、片方は皮がパリっとし、片方は中のやさしい、邪魔にならない食感が特徴的。
でも夕食は、体を温めつつリセットしようと、大根や白ねぎ、水菜などたっぷりの野菜と豆腐の鍋にし、仕事場で分けてもらったカボスをたっぷり絞って作ったポン酢で頂く(最近スダチや柚子ばかり見て、カボスの大きさや、スダチよりも少し甘めの香りや味わいを忘れかけていたのに気付く)。