綴りかた日記

はてなダイアリ―から移行しました(2019.02)

簡単に体操とマッサージ。「原型的な水」と米。骨盤の感覚、目の痒みや鼻炎的な症状、めまいがしたり力が入らない感じなど、体が(部分的に)無理やりのように緩むことで、不要なものを手放そうとしているのかもしれない。
台所の片付けや、仕事場からの連絡への対応、母に頼まれたものや常備の食品などを吟味して注文するぐらいで、随分時間を使ってしまい、すべきことが捗らない。本を読んだり、何か書こうとするだけの気力、集中力も足りない。

暗がりの鍵穴の暗さを顕にする黒い翅の白紋。重なったまま落下する蝶二頭

体操とマッサージ。満月も近いのと、体調の様子から、ムーンストーンのブレスレットを着ける。台所の片付けなどを終えて歯科へ。今回でまた暫くメンテナンスはお休み。持ち歩いている法律テキストは、開く間なし。
記録上は意外にも当然のことだったものの、体調と月の満ち欠けのシンクロの仕方が、1、2年前の安定の仕方とは全く逆になってきたので、ちょっと驚く。単なる疲れもあるのか、先週あたりから、あれこれと活発に動き回る感じではないし、それほど元気があれば勉強をしたいところなので、今年は殊更どこかに出かけてお月見宴会などしないと宣言して友人をがっかりさせていたから、代わりに月見と今日の日付(東西ドイツ再統合の日)に因んで拙い短歌を作って筆書きして落款を押し、文香を添えて、友人の仕事場に、月見団子や月餅ならぬ、市販だけれど白砂糖抜きヴィーガン仕様な豆入り蒸しパンをおやつに差し入れがてら届けたら、ひどく喜んでくれて恐縮した。(言葉の選び方、散らし書きの位置など、時間があればまだまだ練る余地がある。)中秋の名月の前祝をしようと、道中に調達した、扇の模様を手刷りした懐紙に松の実やクコの実を乗せ、用意してもらったグラスの熱湯の中で、工芸茶の金盞花が開くさまと共に一緒に楽しんで解散。
先週、予定に行き違いがあって失礼してしまったお店にも立ち寄り、ご主人の顔を見て謝って、お詫びにお菓子をお渡しし、今後の予定を相談したり、蛍光照星の取り置きをお願いした。さっぱりした方なので全く気にしておられない様子だったけれど、こちらも何とか気が済んだ。
帰宅して夕食を拵えたが、家族は殆ど忙しくて仕事場に泊り込み。帰ってきたら楽しんでもらおうと、玄関にはススキと黄菊、赤の糸菊、紫と赤の竜胆を活け、鳥獣戯画の兎二羽の、指先ほどの大きさのフィギュアがあったので花台の隅に乗せ、塗りの皿に懐紙を敷いて衣かつぎの里芋を三つ盛って、月見の飾りができた。
その間に急遽、友人が、近所まで行くから月見をしようと言う。熱いほうじ茶をポットに入れ、衣かつぎを取り分けて、白味噌と塩と一緒に秋草模様の弁当箱に詰めて、歩いてすぐの場所に出かけてみた。友人は蝋燭の小さなカンテラを灯し、白ワインを開け、「返歌」を手渡してくれた。ベンチに座って、短時間だが一緒に月を見てお喋り。雨になるという天気予報もあったが、流れてきては時々月を隠してしまう黒雲は、かえって月の形の丸さ、明るさを強調する風情がある。何となく心身ぼんやりとした感じは続いているが、季節行事が大好きな友人は大層喜んでくれたし、幾つかのことがこの一日で片付いたし、まるで年度末並みに慌しく雑音の多い仕事や家庭の日常と異なる、単純な時間・空間に身を置けたのは良かった。
解散しての帰り道、三毛、白、黒、虎の、どれも毛並みの見本のような猫が四匹、神社の近くに集まっているのが面白かった。白と虎はこちらを見て鳴いていたが、空っぽになった弁当箱の音でも気になったのだろうか。
勉強と仕事の準備ですべきことを頭の中でリストアップだけして、とにかく休むことにした。

夕方間近の涼やかな風が、窓辺で絹のとろみの香煙と混じりあう

体操、マッサージ。梅醤番茶は瓶入りエキスを使わず、生姜を多めにすりおろし、南部の梅干をつぶし、ほうじ茶を注いで作ってみる。ほうじ茶は冷まして塩を溶かし、目鼻を洗うのにも使う。随分すっきりして、くしゃみや鼻水も止まり、今日の予定をすべてこなせそうな気がした。
母方の家と父方の家、両方に別々の菩提寺のお坊さんたちが遅ればせのお彼岸参りと月参りでやってくるので、早朝から2軒分のお供え膳用の精進料理を作り(昆布と蓮根・人参・干椎茸・高野豆腐・三度豆の薄味の煮物、オクラの練り胡麻・すり胡麻あえ、花麩とワカメの味噌汁、奈良漬)と自分の普段のおかずの延長ではある)、母が掃除や片付けをする手伝い。
ところが1軒目で母が準備中、約束の予定より30分も早く、とある「スポーツ用品」店の店主が、練習場への迎えに来て下さったらしい。2軒目で掃除をしている私が知らない間のことで、母にすれば(私は予定をそれとなく話していたつもりなのだが)預かり知らぬことだし今日は私の体調が良くないようで多忙だからと対応して帰って頂いた、と後で電話が入る。先方には直ぐに謝罪の電話をしたが、既に次の予定で移動されているので今日は予定キャンセルとなり、釈然としない。
尤も、アレルギー性鼻炎のような症状が治まったとはいえ、何とはなしに頭の奥のほうが揺らぐ感じが残っていて、緻密な安全管理も含めた集中力、重い道具を操作する体力が必要な競技を久々に、しかも慌しい合間にするというのは、うっすらと不安があったのも確かなので、これも必然だったのかもしれない。気を取り直して、家族のための身近な雑用を続ける。
仕上げに玄関に飾る花を取りに行くのが間に合わなかったが、土間を掃き清め、鳩のつがいを模った花瓶に庭のオキザリス・レグネリーを摘んで挿したり、昔、子どもの頃からずっと習っていた書道の先生が書いてくださった柿の俳画の小型色紙を飾ってみると、家の中に、まだ暑さを残しているとはいえ爽やかな秋空の光が、まろやかに回っていく感じがする。
「来客」予定がすべて無事完了したところで、近所に暫く滞在中の友人から誘いがあり、明るくゆったりした喫茶店で合流。アルパの演奏を聴きながらポットサービスの珈琲をご馳走になり、最近の読書や事務手続きの様子などを聞き、互いに近頃多忙だったので久しぶりにゆっくり落ち着けて気分転換になったと、にこやかに解散。
帰宅後、仕事場からの連絡で、英文をひとつチェック。その後、武道家のメソッドを使った公演を観たり、「スポーツ用品店」へ菓子折を持っていこうかとも思っていたが、これも面倒になってきてしまい、まず目の前、身の周りの片付けに専心することにした。(夜、後になって友人が電話で言うには、昼間に会った時にはネガティブなことを言うまいと口に出さなかったのだけれど、私が疲れている様子が見えたのだとか。元気がないのに、あれもこれも用事をしようとして結局だらだらしてしまうよりは、思い切って積極的な休養を確保するのも大切なことかもしれない。)
自室でまろやかな香りのお香をくゆらせ、「美味水」とルチルクォーツを入れたお白湯を摂ったり、自分の状態を整理して捉え、メンターに伝えようとするうちに、操体の「自発動」のように胸、肩甲骨、首筋などが順に芯のほうから揺れてほぐれていく手応えがあり、驚きつつも嬉しいことだった。
自分の書棚や書類の整頓や勉強、仕事のしこみは捗らなかったものの、夕食の準備は随分と手早くできる。電気炊飯器が壊れているので、家族の分もご飯を炊くのは、自分のお弁当づくりとは違う米の種類、分量、水加減、鍋の使い方に慣れず、まだいまひとつだけれど、加減が見えてきた。

朝には青みを帯びて延々と咲き誇るかに見えた薔薇の花弁一枚一枚が、夜には行儀よく並んだまま、萎えて縮んでいる

体操、マッサージ。サーモマグにお白湯と「美味水」、カーネリアン、ブルーアゲート、ルチルクォーツを入れて持ち出す。
次々と処理すべき仕事と、期間が限られた大きなプロジェクトの打ち合わせで、一日中脇見する間もなく、みっちり時間の中身が詰まっている。私の役回りは、そのプロジェクト全体の管理よりも、日々新規にやってくるだろう用件への対応が中心になり、何となく同僚たちに申し訳なくて気がひけたり、ほっとしたりもするが、実のところは一年、年度の終わりに向けて、新しい対応にこそ、臨機応変で的確な判断や工夫がいくらあっても十分でないのも明らかだとは感じる。
夜、このところ急にスケジュールが過密で忙しいというので気掛かりだった友人から、やはりストレスが多いのか体調、特に歯などがいまひとつで治療を受けたとメールが届く。せっかく、先の連休中に私の仕事場に立ち寄って、当番で出勤していた同僚に、仕事場の理念と実態のズレについて客観的な意見をしたのに、それが他の仲間にきちんと伝わっていない様子なのも、苛立ちの原因のようだ。長らく日常業務から離れている人が外から根本理念の部分で啓蒙しようとしても、タイミング上、目の前の課題に追われている人たちが、すぐさまテーブルに乗せて議論するのには結び付かないのは当然だと思える一方で、貴重な視点を皆で自然と共有するにはどうすればよいか、状況を想像してみる。とりあえずは、無理しすぎず早く回復されるようにと返事。最近書棚を整理していて偶然見つけ、再読した五行に関する本に、自分の傾向や現状に関連して思い当たり、改善に応用してみようと思える事柄が幾つかあったのだが、彼にも必要になるだろうと思えて覚えていたこと(補給すべき要素)なども「お見舞いメール」に書き添えてみた。
自分自身は相変わらず、アレルギー性鼻炎の状態がひどく、くしゃみが続くので体力も消耗しがちだし、目や頭もすっきりせずに困ったことだ。身体はなるべく冷やさないようにしているものの、昼食は野菜たっぷりで荒挽きの黒胡椒がきいたチャプチェとおにぎりで簡単に済ませてしまう。帰路はその分、新鮮な食品をきちんと料理して摂り入れようと、いきいきした青菜類の種類が多いスーパーマーケットに立ち寄って買物。
先日から、胸骨操作によって身体の各部を連動させる「実験」をしていて、確かにすんなり楽に動ける瞬間はあったが、身体の使い方が下手で、かえって芯のほうで凝ったりずれたりしている部分があるようにも思え、それも「鼻炎」がぐずぐず長引いている一因と考えると、時期的な辻褄も合って納得できる。以前診てもらったオステオパスに施術してもらおうかとも考えたが、どうやら最近は予約がいっぱいらしく、当面は自力で身体を整えるしかない。持ち歩いているテキスト類に手が付かないのが悔しいが、明日も早朝から動かなくてはならないので、あまり無理しすぎず、適度な時間に就寝。

早めに起きてメールをチェックすると、深夜のうちにボスから英和訳の書類が幾つか送られてきていた。すぐに内容を点検してしまい、届け先に送り出す。

体操、マッサージ、石を入れたお白湯の準備などをして仕事場へ出かける。

あまり休んだ覚えはないが「連休明け」だけに、さすがにメールやFAX、電話のやりとりも次々あるし、確認して送り出す書類も多い。それでも順調に、夜は一時間半ほどの残業で解散。

帰路、友人の仕事場に立ち寄り、お手製のこってりしつつ穏やかな味わいのマッシュルームとジャガイモの豆乳クリーム煮をご馳走になり、それとは別に「お客さん」として、酸味がきいた熱々のヴィーガン仕様・オリーブパスタもシェフに注文して拵えてもらい、手やお腹も温かくなって満足し、幸せな気持ちになった。一日の仕事がひと段落した友人に近況を伝えたり、仕上がったばかりの印刷物を受け取り、甘口のオロロソのグラスを傍らに、その場で版組みを一緒にあれこれ批評していて、以前は友人が担当していた版組みがいかにセンスと技術を要することか、改めて実感した。正攻法でよいのにわざわざ角度をつけたりする図版の入れ方、明らかに狙っていないのに「活版印刷」じみた枠線の種類、ノンブル横にべったり同じように続く章題やフォントの選択などのせいで、意欲的で筆力や感性の優れた書き手に応じて、紙面のかたちからも先鋭的で洗練された美を感じさせるべき冊子が、すっかり素人くさい「文集」の様相になってしまったのを目の当たりにして、呆れたり、逆に版組みの力を思い知って感心したりする。意外な「勉強」になり、将来の「仕事」の一つに何かが繋がった感覚。