綴りかた日記

はてなダイアリ―から移行しました(2019.02)

窓辺に並べた7つの石が、実は行儀よく等間隔

朝風呂に入って温もってさっぱりし、身繕いも整えたところに雨。花冷えというには、あまりに寒い。友人と一緒に出掛けて用事をするつもりにしていたところ、知らない間に遠方へ行っていたようで、あてが外れて半端な心持ちのまま、朝・昼の炊事や洗面所の簡単な掃除以外、何の用も手につかない。別の友人は、今日一日口をきかないとご機嫌斜めの様子で連絡もつかない。そのうえ、くしゃみも連続しはじめるし、けだるい。法律のテキストも、どうも進まない。夕食は負担にならない程度に一汁二菜調理し、バランスを取り戻そうとしてみた。
その間に調べ物をしていて、何故かagalmics(用語としてはフリーノードに貢献したRob Levinから、Charles StrossのAccelerandoへ)、Baird T. SpaldingのLife & Teaching of the Masters of the Far East(ヒマラヤ聖者の生活探究)と、映画『すぎ去りし日の…』(とリメイクの『わかれ道』)、肉食の是非など、ばらばらの、でも敢えて関連づければ「パターンの終わりと新しい選択」や「『当たり前』と思われていた構造の立て直し」が通底するトピックスに行き当たる。
友人からの頼まれごとの結末に釈然としない部分が若干あり、負担になっているように思う。目先で誰かを喜ばせるためではなく、私は私として心地よく納得できる選択をしなければ、いとも簡単に道を逸れて迷子になってしまう危険を感じる。