綴りかた日記

はてなダイアリ―から移行しました(2019.02)

複雑、壮麗の可逆性―ヘッドフォンの響きから緞子を織り出す、ブランデンブルク5番のチェンバロ

ホロスコープを読むのは、連想ゲームのようだし、もしかすると、物語のプロットや登場人物の相関を考え出すのも、似た感覚なのだろうか。質問者である友人の気持ちや立場を慮るあまり、他者のとも自分のともつかない願望を投影することで、僅かな安心材料を必要以上に拡大して伝えても役に立たないのは当然として、それもできない、一筋縄でいかない指標でいっぱいのチャートを前にすると、解決しやすい状況のものよりも一層、さまざまな可能性を探って集中し、知識や想像力が働いているのが意識される。新しい手掛かりを得ようと資料を当たったりして、手間はかかるが面白い。何より、その過程で互いに話をしているうちに、友人の気が多少は晴れ、未知のことを教えてくれて、もとより内にあった考えが纏まってきた様子が伺えるのは嬉しい。これが家事少々の後、昼過ぎまでの顛末。
そして夕方までは、別の友人に急遽頼まれた、ちょっと学究的な翻訳。いくら親しい仲でも、貴重な休日に説明もなく原稿を次々送りつけるとはひどい、メールのふざけた顔文字はなんだ、勉強の時間だって作れないし、食事もしていないし、誰が代わりに掃除をしてくれるんだと思いつく限りの小言を電話で言ったところ、「怒る時は、活き活き怒るね」と面白がられて益々怒ってしまった。
それでも、一人で決まりきったことをしていては遭遇できない、こうした「勉強」の機会をくれる友人たちには、感謝するほかない。大切な人たちの役に立てる喜びの為にも、もっと言語能力を高めたいし、専門知識(特に今はまず、一旦目標にした実学的な分野のもの)も軽んじないで身につけたいと改めて思える。
簡単な体操のようなことをして体をほぐし、法律テキストを開いてから就寝。