綴りかた日記

はてなダイアリ―から移行しました(2019.02)

バゲットの皮の香ばしさの上に曲線を描き出す、30年もののシェリーの甘さ

先月来、時間を大幅に取られて心身消耗させられていた仕事の一つが、関わる人たちの一部で立場の違いを超えて情報を共有する機会があり、暫く作業を「休止」して様子見することになった。損失もあるが長期的には正しい結果を導き出せるだろうし、身体は休まるかもしれない。当面その件はすっかり忘れたつもりで別の用に取り組めたらよいのに、他にも一筋縄でいかないことがあるせいか完全にはすっきりできないが、少しは進展してよかったとも言える。
帰路、いつも励ましてくれる友人が難題に遭遇したり身体も不調だったりで気鬱気味のようなので、疲れているのを少し無理して様子を見に行った。なぜか加賀太胡瓜とじゃがいもを昆布だしと薄塩で煮たものを出してくれたけれど、組み合わせも調理法も味も腑に落ちず、自分ならこういうソースを作ってそえる、こんなハーブを合わせる、水分を多くせずに茹でるかソテーするか焦げ目をつける、せめて塩かヴィネガーを補う等々、色々考えてしまうものの、元気が出ないのを押してもてなしてくれようとする気遣いを思うと、暫くするうちに滋味が感じられる気がしてくる。一緒に出してくれたパンの香ばしさも引き立っていた。でもやはり、友人も我侭で世話が焼けるのには違いない。お喋りして和やかになり、かなり凝っている肩も揉んでもらったのは嬉しいが、夜が更けるまで引き止めておいて「帰ったらちゃんと勉強してね」などと悪びれもせず言うのには呆れる。心身健やかであれば、そのぐらいは楽々とこなせる日課なのかもしれないが。挙句に友人には、否定的な言動を私が嫌ったり好き勝手に思いつくままを口に出すから「また心配ごとが心身に植樹された」などと言われてしまう。
今年は自分のための勉強に時間を使うと宣言した当初は、友人も、応援する、足を引っ張らないよう用事を頼むのは我慢するなどと言っていたし、実際に応援はしてくれているようなのだが、結局振り回されている。とにかく自分の身体だけでも柔らかくしておくのを心がけて、法律テキストは少し開くだけで、眠ることにした。