綴りかた日記

はてなダイアリ―から移行しました(2019.02)

店じまい時のアーケード下に大きく育った燕が二羽、下りるシャッターに合わせて歌う

また暑いぐらいの晴天。お弁当には、月の初めなので一日遅れながら小豆入りご飯を炊く。おかずは厚揚げとぜんまい、人参の煮物。つるむらさきと長芋の和え物。簡単に短時間で作るとなると、どうしても和風料理が続く。
元気になってきたつもりだったのに、朝、バスで移動していると、自分の出生時ホロスコープの月の位置が思い浮かび、何だか泣けてきた。乳児期からずっと住んでいた昭和初期の家のように、慣れ親しんだ懐かしい雰囲気の空間にいて、ひとりで思いつくまま我が儘かつ真剣に遊んだり、それをまた放り出したりしながら―例えば、小さなウサギたちの人形を何度も並べなおしてみるかと思えば、突然ホットケーキを焼いて食べてみたりして―満足しているのが、複雑な自分や他者の日常から全く弧絶したところでささやかに成就しているだけなのに、とんでもなく大きく絶対的な幸せである、という子どものような像が、そこから立ち現れてしまうからか。
気を取り直して一日の仕事をやり遂げ、昨日より更に早く仕事場を出た。
自室の花瓶の水を換えて少しすっきりし、Eartha KittのCDを掛けてみる。昨日から始めた、洋書の日本文化紹介をまた日本語に訳し戻す翻訳の続き。「ゆる体操」第2日は、寝たままでの足腰の動きを追加。法律テキスト少々。
友人たちからの電話で、一人からは「仕事場にぽつんと独りで残っていて湧き上がる感情の殆どは、不安かもしれない」と訴えかけられ、もう一人とはインフルエンザ騒動のその後(日本での「安心宣言」の方向性、今後の南半球での状況、WHOや製薬会社の「情報」、代替療法の立場でのワクチン否定やウィルス感染説への懐疑など)などの話題になったけれど、結局「おいしいものが無くてお腹がすいたから、寝てしまう」と可哀想な子どもじみた言を聞かされて終わってしまった。身体でも動かしてみましょうと勧めたけれど、どうなることか。