綴りかた日記

はてなダイアリ―から移行しました(2019.02)

卵の殻が内側からの鳴き声で、こつこつ、ぱりぱり、割られていく長回し

体操とマッサージ。ジェムウォーターはお休みして、お茶に「エッセンス」を入れる。
歯科で定期的なメンテナンスをした後、久々に、ヴィーガンになってからは初めて、以前はよく食事したトラットリアに入ってみた。下町の住宅街の店で、緩やかなベジタリアンさえ殆ど来ないだろうから、「蛋白質は全部駄目なんですね」「油も召し上がりませんか」と若干ズレた、でも恐らくは典型的な反応をされてしまった。(蛋白質や脂質ゼロでは生きていられない筈だが、何かの「痩せたいダイエット」と勘違いされているのかもしれない。確かに「油は大丈夫?」というのは度々尋ねられたことがあるし、マクロビオティックでも病人は極力、油を控えることになっていた。脂肪が身に付かないとかいう、健康志向を謳った乳化剤添加の油は論外としても、体質に合った、あまり重くなりすぎない質の良い油は、個人的には絶対必要だと思う。)それでも結局はすんなりと、あっさりしたサラダと、キノコ類とバジリコにオリーブオイルの旨みと唐辛子少々が効いたスパゲティ、二口分ほどだけれど薫りと濃くを堪能できるエスプレッソ、というメニューに落ち着いた。特にスパゲティはさすがにプロの茹で加減、塩加減で、美味しかった。
近々、仕事で宿泊付きのセミナーに参加するが、宿泊などの希望欄に、「ダイエタリー・ヴィーガンなので」、或いは(多少やんわりとした言い方にするなら)「事情あって、これこれしかじかの食餌制限をしているので」、交流会のお料理が見分けられるようにしてほしいと、ちゃんと書いてみよう。国際会議の世話をした時などは、登録票で必ず食餌制限を確認したり、少なくともブッフェ料理の肉の種類ははっきり分かるようにしたものだ。主催者に変な遠慮をするよりも、事前に明らかにしておくほうが、互いに楽かもしれない。
その後、ヴィーガン対応のケーキを2切れを手土産に、友人の仕事場に立ち寄り、歓待してもらって午後のおやつを楽しみながら、勉強の進展や将来の仕事の希望を話し合ったり、地元の街の文芸同人誌や古書店の記録を通じて「都市の記憶」「人々の声」を風化させない活動をしている共通の知人の仕事について聞いたりする。
珍しく繁華街に出ると、センスがよいと思っていた洋服店が、意外にも閉店セールをしている。生地をたっぷり使ったり、カッティングのパターンに工夫があるスカートや、イタリア製の糸ならではの、綺麗で艶がある夏用ニットウェアなど、安売り量販店よりも余程素敵で手の込んだ、カジュアルな雰囲気でも適度に優雅で大人っぽい雰囲気の服が投げ売り状態の安価になっていて、さんざん吟味して絞込みながら何着か買い込んでしまった。お店が無くなるのは残念だけれど、最近、朝は何を着たらよいか頭を悩まして時間を無駄にすることが多く、出かけるのが億劫になることさえあったので、これで当分大丈夫。
夜は家業の手伝いで書類を作ってから、簡単な夕食。法律テキストの勉強が進まない間、来月に向けた「仕込み」として急に思い当たった1930年代の詩の本を引っ張り出してきたが、読書も進まず。深夜に母が突然DVDで『終身犯』(バート・ランカスター主演のBirdman of Alcatraz) Alcatraz)を観ているのを横目にしていると、子供の頃にテレビでは放映されていなかったり覚えていなかった場面があり、昔は「鳥を飼うことを通じて、どんどん人間性に目覚め、隠されていた偉大な才能が開花する過程」が最も印象に残っていたのが、クラシックな演技、カメラワーク、やや冗長だが重厚なドラマ展開の素晴らしさと共に、主人公が「常に真実を追求する努力、挑戦を続ける過程」や、それが故の達観や、ユーモアさえ感じられる超然とした人間像が目に付いた。もっとテーマに沿って一つ一つのことを日々究めなさいという、何かの「メッセージ」のようにも思える。