綴りかた日記

はてなダイアリ―から移行しました(2019.02)

ライトピンクからライトグリーンへ。アンスリウムの花序から花序へ繋がる放物線

ゆっくり起きて、軽く体操やマッサージをしてから、食器の洗い物や洗濯物、普段手の回らない掃除など―一箇所がきれいになると、連鎖的に他の部分も気になり、どんどん動いていると、服を絞らないといけないほど汗をかく。それはまるで、身の周りの汚れを落とすのに呼応して、自分の中からも不要なものが出て行くような感じでもあり、気持ちよい。先日から再び急に身体の凝りが戻ったようで気になったことを含め、更にその前からの、心身の状態に起きている日々の小さな変化の幾つか(部分的で軽い、痛みともいえない程度の違和感や、食欲の変化、集中の持続しやすさ、思考や行動の方向性など)が一つの流れとして繋がり、月の動きとも調和して収まっていくような現象。
掃除といえば、このところ、嫌いなカツオブシムシが外からも飛び込んでくるのか、室内をウロウロ歩いたり飛んだりするので油断ならない。いつも休日で外出しないとなると、家の中の共有スペースの片付けを優先しては午後中疲れてぼんやりしてしまい、夕方からは食品買い出しや料理に追われて一日終了、というパターンになりがちだが、自分の衣服の整理や書類の整頓もどんどん進めないと、大変なことになるので焦る。
声・朗読の論考を開いてみると、詩の朗読に対する代表的な見解、ありがちなアカデミック系朗読イベント、声を意識したラングストン・ヒューズの改稿過程など、かなり面白そうな部分が早速幾つか目について、丁寧に読んでいくべき本だと思えたが、法律のテキストや翻訳学の本が先だとか、単に体調や気候が読書速度や理解力を落としがちといった理由付けを超えたところで、この時期はもっと身の周り、ひいては自分の内面をすっきりさせるのが優先だろうとの感覚が、奇妙なぐらい強い。そしてその感覚の先に、幾つかのくっきりとした動きや図面の気配がある。同時に、今年中に予定されている事柄に向けた残り時間や、それぞれの日取りの間の時間が、実はとても限られていることも、一目のうちにカレンダーの数字を数えたかのように、やたらありありと感じる。
夕方近く、友人たちから激励や打ち合わせ、近況連絡の電話を受けた後、夕食の支度を前に、近所の商店街へ食品買い出しがてら外出して、夏祭りの助っ人をしている同僚に挨拶したり、家業の手伝いで筆文字を書いたり。遅めの就寝前には、ちょっとした調べもの。

それにしても、3日前に書店で見かけた新しい『完訳Oの物語』の表紙装丁が、光沢ある赤い背景と黒いOの文字の対照がシンプルで目をひくもので、何冊も並んでいると一層素敵に見えたのが思い出されてならないが、組織内でのジェンダー、多様性の問題を啓発するRosabeth Moss Kanterの(The Story ofならぬ)A Tale of "O": On Being Different in an Organizationの日本版との類似にも気付く。Oとの関連づけで『星の王子様』で狐がrite(儀式)に結び付けていくapprivoiser(飼い慣らす、なつかせる)=lien(紐、絆)で結ぶことについての、或る興味深い「読み」も何年ぶりかに思い出し、レアージュ/オリーからサンテック経由で連想が飛躍して、今の自分と大切な友人たちとの関係が、いかに時間と手間をかけて培われてきたか、そして現在どれほど丁寧に真剣に扱えているか、将来どのように育てていけるかという課題にまで行き着いてしまった。