綴りかた日記

はてなダイアリ―から移行しました(2019.02)

仕舞い際の模擬店でしんなり冷えた一本漬け棒差し胡瓜の、丸く潤んだ鹹味

体操、マッサージ、石を入れたお白湯の準備もそこそこに仕事へ。一昨日あたりから、肩がまた凝りやすくなっている感覚があるので、緩めるのを意識しながら呼吸したり、姿勢を整えたり動いたりしてみる。
昼食のおかずを仕事場の近所へ調達しに行くと、そこでは初めて見かけるお惣菜が並べてあった。緑の濃い、葉唐辛子のナムル。試しに買ってみると、時々、爪ほどの大きさの小さい緑の唐辛子が混じっているが、そんなにピリピリとはしない。感じる辛味は、控えめに使ってある赤唐辛子粉からのほうが多いかもしれない。葉のしっかりと青々した、ほんの少し苦味と甘みを含んだ味わいは、また違うのだけれど蕗の葉も連想させたりする。和風の佃煮や炒め物では食べたことがあった筈なのに、妙に新鮮な気がした。お店の人と先客の年配の女性が「もう唐辛子の葉っぱがあるの?」「だいぶん早いけどねぇ」と話しておられて、暑い夏であるのを改めて感じた。
仕事は休日を前に、気掛かりだった仕込みが何とか整って、一安心。
日暮れに仕事場を出て、移動中に来週の仕事の段取りをスケジュール帳に書き込んでまとめ、注文していた米国の詩と声・朗読に関する論考と、poetry slamとspoken wordsの実践的ガイド本を受け取り、夏越の祓いの祭から帰る大人や子どもの流れの間をすり抜け、家業に忙しい家族の仕事場に寄って、頼まれた買物を差し入れして帰宅。ここまでは順調なようだったが、料理と簡単な食事を終えると大仕事が済んだように気が抜けるのか、まだまだ仕事で帰宅が遅い家族の一部を待っている時間、静かなのに、勉強にちゃんと手が付かない。
そこへかなり年上の友人の一人から、酔っ払い気味の教育的電話が掛かってきた。何か面白いことを喋ってみろだの、人の話を真剣に聞かない、ブログを書きたいからと言うが他の友人知人の電話だったら途中で切らないだろう、勉強はしているか、賢いと信じているのに冗談であれありきたりの渡部昇一の言説をなぞって暑いからと反論するのは呆れたものだが部屋が暑くて本当に冷房が欲しかったら絶対段取りをつける人間の筈だから実は要らないとどこかで思っているんだろう、でも発言が可愛らしい等々と、DVまがいの叱咤と甘やかし、酔っ払い的な箴言と気まぐれな論理の飛躍がごちゃごちゃの有様で、後になってみると拝聴すべき鋭い見解も沢山あるのだが、結局、暑さと眠気が強すぎてかえって暑さも眠気も分からないような、ただぼんやりと妙な感覚が電話を切った後も続いて過ごしてしまった。
リセットするつもりで、寝転がって身体を緩める体操をいつもの就寝時より念入りにしながら眠る。