綴りかた日記

はてなダイアリ―から移行しました(2019.02)

山の散歩や、大荷物を持った買物でよく歩いたのに、体操やマッサージを十分にできないまま眠ったせいか、腰から脚まで裏側全体や、左足首にかなりの筋肉痛。逆に、普段はそれだけ脚の裏側の筋肉を使っていないのに気付かされる。斜面や階段の昇り降りとは使う筋肉が違うということもあるだろうが、平地で歩くのにも、膝を曲げず、脚の蹴り出しをきれいにできるよう心がけているつもりが、まだまだ動きに改善の余地がありそうだと、文字どおり痛感させられる。
朝早くから、母方の祖母宅にお坊さんがやって来るというので、仕事多忙な家族に代わって、お供え膳(ヴィーガンも食べられるお惣菜兼用)の料理を担当。冬瓜の煮物(新生姜とクコの実入り葛あん仕立て)、高野豆腐・オクラ(下茹でと、高野だけは母)・人参の炊き合わせ、あえ混ぜ(胡瓜、長芋と、甘辛く煮た干椎茸、カリッとあぶった薄揚げ。今回は白味噌でなく、甘酢のみで)。
お坊さんが早々に帰って一息ついたら、今度は夜遅くまで、自宅で仏壇内と、通り道になる部屋すべての掃除、夕食の料理、翌日の料理の仕込み(祖母が好きだった芋茎の皮を剥いて酢水で茹で、それに合わせるササゲを下茹でして、酢味噌あえの準備。どちらも頂き物の、龍神村生芋こんにゃくと、車麩のようだけれど一層のみで穴あきバゲットのような棒麩を使って、これも祖母の好物だった里芋を中心に野菜たっぷりの筑前煮風の炒め煮―これももちろん、ヴィーガン用お弁当に流用できる!)。
伝統的宗教・宗派で穏健な部類のお寺であれ、どうしても、生者の日常に密着するというよりは、亡き人の「記念日」である非日常のお盆・彼岸・命日が「集金」の方便になりがちなあり方はもちろん、それを容認して、積極的に協働するでも切り離すでもない「檀家」側のこちらの態度の是非も問題だとは思うが、少なくとも、料理をしながら祖母たちのこと、好きだった献立、家族や、今はいない家族との繋がりを普段以上に想いながら、夏ならではの素材の手触りを感じて、美味しく活かせるよう工夫する楽しみがあり、お坊さんという「客」を迎える、やや強制的な設定になるが為に、怠けずに家の中をすっきり片付ける機会にもなり、結局は自分たちも気持ちよくなれるのは、悪いことではないように思える。
片付けをしていると、何年か前に購入して忘れていた、エドガー・ケイシー流健康美容法の本を、なぜか普段は入らない部屋に置いていたのを発見。
先日の出張先で会った古い友人からの、チーズギフトとカードの御礼メールを読み終え、料理の仕込みができ、ひととおり用事を終えると午前一時を回り、さすがに眠気が覆いかぶさるようにやってきた。翌朝に備えて、体操とマッサージだけ簡単に済ませて、とにかく眠る。